| 室町時代後期大川家具の開祖、榎津久米之介が、船大工の技術を生かして、天文5年(1536年)指物(さしもの)を始める。これが「榎津指物」の起こりとされているが、家具が主流になるにはまだ時を要する。
 江戸時代後期中興の祖、田ノ上嘉作は、文化9年(1812年)榎津長町に生まれ、久留米の細工人に弟子入りし箱物の製作を修得して帰郷。これが「榎津箱物」のはじまりと言われている。
 明治10年ごろ榎津箪笥が生まれる。 明治22年ごろ今から約100年ほど前の明治22年(1889年)、町村合併によって大川町が誕生し、木工関係者が町全体の四分の一を占めるほどになりました。この発展の原因には、塗装方法や木工機会の進歩などの技術の発展のほかに、材料の木材が確保できたことと、家具製品の販売先が広がったことがあげられます。
 明治42年(1909年)大川指物同業組合が結成される。
 明治44年(1911年)同業合立「大川工業講習所」が開設される
 大正元年(1912年)大川鉄道が敷設され、販路が拡大される。
 昭和20年(1945年)第二次世界大戦の敗戦による物資不足が木工関係者に打撃を与える。昭和24年(1949年)
 木工産地として復活し、家具づくりを再開。同年、国より「重要木工集団地」の指定を受ける。また、この年、榎津久米之介の400年忌を期して「第1回大川木工祭(昭和29年から[木工まつり]となる)」が開催される。
 
 |  | 昭和30年(1955年)「第1回全国優良家具展」への出品により、全国の注目を集める。同年、「西日本物産展」で、工業デザイナー河内諒デザインの和ダンスが最高賞を受賞。世に知られる大川調の「引き手なしたんす」である。
 昭和38年(1963年)家具メーカーで組織する「協同組合大川家具工業会」発足。
 昭和46年(1971年)展示会場を備えた「大川産業会館」が建設される。
 昭和49年(1974年)戦後のベビーブームによる、急激な結婚や新築のラッシュにより日本一の家具産地となる。
 昭和62年(1987年)イタリアの家具産地「ポルデノーネ市」と姉妹都市締結。
 平成2年(1990年)「デザイン・イヤーin大川」の集大成イベント「国際デザインフォーラム」開催。世界に羽ばたくインテリアシティとして大きな一歩を踏み出す。
   現在は…
 箱物(タンス類)、棚物(食器棚等)家具を中心とした日本最大の家具産地に成長し、高価格製品から普及製品まで、幅広い商品構成を特色とした産地を形成しています。また今日の大川のインテリア産業は家具・建具の産地から、住宅関連産業も含めたトータルインテリア産業へと発展しています。
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